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8・12に思う事・・・

2006年08月12日 18:56

曇りのち雨(雷雨)

今年も8月12日が巡って来ましたね。
日航機事故:遺族ら早朝から慰霊登山 群馬・御巣鷹山(MSN-Mainichi INTERACTIVEの記事)

当時22歳だった私は叔父の理容店で働いていました。
店は定休日(月曜日)で休み、私は叔父と一緒にTV初放映される『東京裁判』を楽しみにしていました。
19時を過ぎた頃になって、ニュース速報のテロップ「日航123便、行方不明」が流れました。
「エェッ!?」 「NHKだ!NHKに変えよう」 「NHKだね?」 「NHKは柳田(邦男)さんが出るからな」叔父とこんなやり取りをして、すぐにNHKにチャンネルを合わせました・・・もう『東京裁判』どころではありませんでした。
それからは連日ずっとNHKの報道(時々民放各社も)を見ていました・・・8月13日朝のNHKニュースで中継のヘリから、まだ残骸が燻っている事故現場の模様を見た時は、叔父と絶句しました。

ご意見、ご感想はこちらへどうぞ!
事故後に公表されたボイスレコーダー(CVR)の修正記録フライト・レコーダー(FDR)柳田邦男さんが雑誌に連載していた日航機墜落事故関連レポート記事は読んでいましたが、先年公表されたボイス・レコーダーを聞いた時は、本当に涙が止まりませんでした。
また、昨年放送されたTBS「ボイスレコーダー ~残された声の記録~ ジャンボ機墜落20年目の真実」を見ていた時も同様でした。
高浜雅己機長(CAP)佐々木祐副操縦士(COP)福田博航空機関士(F/E)の3人が、コックピットから約60メートルの後方で何が起こったのか全く状況が判らない中、必死に油圧が抜けて重くい操縦桿やペダルを動かし、スラストレバーによる推力調整だけで、あの巨大なボーイング747SR-100の機体をコントロールしようとしたかがありありと目に浮かびます。

私は叔父の中学以来の親友にパイロットのK上さんと言う方がいて、お会いするたびに、色々な話をしますが、この日航機墜落事故の話が出なかった事はありません。
大抵の人(特にマスコミが先陣を切って)は、例え原因が何であろうと、一旦航空機墜落事故が起こると、パイロット、特に全責任を負った機長の所為にする風潮があります・・・この事故の時もそうでした。
しかし、後に公開されてゆく、異常事態発生後に撮影された飛行中のJA8119号機の写真や、フライト・レコーダーボイス・レコーダーの記録で、的外れな批判は徐々になりをひそめて行きましたが・・・この間、犠牲になった乗務員のご遺族、特に高浜機長のご遺族が、どんなに辛い思いをしていたかも、当時から相も変らぬマスコミ各社報道姿勢を見れば、火を見るより明らかです・・・。
当日は非番で乗り合わせ、救出された日本航空アシスタント・パーサーの方も辛かった事でしょうね。

あれから21年、あの暑かった日の夕暮れの中、永遠に着陸する事がなくなった日航123便(JA8119号機)と、最後まで必死の操縦をした高浜機長たちコックピットクルー3名、墜落の恐怖と戦いながらも乗客を気遣っていた客室乗務員たち12名、そして乗客505名の皆さんの事を思うと、今でも胸が締め付けられ、涙が溢れて来ます。

墜落時刻の18時56分には、高天原山の「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに手を合わせ、ご冥福をお祈りしたいと思っています。

関連記事:
「あれから20年・・・(その2)」(2005年08月13日)
「あれから20年・・・」(2005年08月12日)
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