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あれから20年・・・

2005年08月12日 18:56

曇り時々晴れ(朝のうち一時雨)

最初に・・・今日は過去最高の長文になります。
何卒ご容赦下さい。

昭和60年(1985年)8月12日(月)18時12分、日本航空(現・日本航空インターナショナル)の123便(JA8119号機:ボーイング747SR-100型ジャンボジェット)は東京国際空港(羽田)を離陸しました。離陸当時の天気は晴天、機内には乗員として高浜雅己機長(CAP)、佐々木祐副操縦士(COP)、福田航空機関士(F/E)の3人を含む15人、副操縦士の機長昇格訓練のため、高浜機長が右操縦士席、佐々木副操縦士が左操縦士席に座りました。
そして乗客509人の計524人が搭乗しました・・・この中には元マネージャーの選挙応援で大阪に向かう歌手の坂本九さんや、21年振りのリーグ優勝を目前に控えた阪神タイガース球団社長・中埜肇さん、ハウス食品社長・浦上郁夫さん、元宝塚歌劇団の娘役で女優の北原遥子さんなどの著名人も乗り合わせていました。
JA8119号機燃料は3時間以上のフライトが出来る量を積み込んでいます・・・羽田~伊丹間は約1時間ほどですが、天候不順による目的地変更や上空待機など突発的な飛行時間延長に対応するために多目の燃料を入れておくのです。
ちょうどお盆休みの時期とも重なって、帰省ラッシュの中の一つの波として、JA8119号機はJL123便として家族連れやビジネスマンを多く乗せていました。
中にはつくば市で開催されていた「科学万博」帰りの観光客も多くいたそうです。

ほぼ満席の乗員乗客524人を乗せた123便は定刻をやや遅れて当時の羽田空港18番スポットを18時4分に離れ、18時12分、滑走路15から離陸しました・・・飛行を開始したJA8119号機はその日5回目のフライトをJL123便として終え、大阪国際空港(伊丹)に着陸するはずでした。

ご意見、ご感想はこちらへどうぞ!
しかし離陸から12分後の18時24分35・6秒、相模湾上空で突然機体後方部・尾翼付近で「ドーン、ドーン(間隔は0.9秒)」という連続した衝撃音が響き渡りました。昭和53年(1978年)6月、伊丹での「しりもち事故」で損傷した後部圧力隔壁の修理が杜撰だったため、圧力隔壁が金属疲労を起こして破壊され、急激な減圧とその時発生した衝撃波が垂直尾翼に流れ込み、JA8119号機は垂直尾翼の2/3とテールコーン(補助動力装置(APU)などが入っている)を失ってしまったのです。
垂直尾翼は高さが9メートルにも達する構造物で、ちょっとしたビル並みなんです。そして機体の左右方向を安定させ、方向を決める装置でもあります。

JA8119号機(説明)しかも、この破壊によって油圧4系統全てが破損してしまい、コントロール不能になってしまいます。高浜機長は即座に緊急事態宣言(スコーク77:ATCトランスポンダの緊急コード番号7700の意味)を所沢の東京航空交通管制部に発し、羽田への帰還を試みました。

しかし垂直尾翼を破壊されたJA8119号機は尻振り運動(ダッチロール)や激しいフゴイド運動(波打ち運動)を起こして大きく揺れ、不安定な状態に陥ってしまったため、羽田空港への帰還は絶望的でした。
かなり昔から航空力学によって航空機がコントロール機能を失うと、ダッチロールやフゴイドという飛行状態に陥る事は知られていました・・・様々な技術の粋を集めたジャンボ機とはいえ、コントロールを喪失してしまったら、どう足掻いても自然界の法則には逆らえないのです。
因みにフライト・レコーダー(FDR)による18時26分から30分までの約4分間(伊豆半島・下田市付近上空を通過、焼津市上空付近まで)の記録では、機体の傾き(バンク角)はプラス/マイナス20度、高度の上下変化はプラス/マイナス450メートルだったそうです。

このような飛行状態にも拘らず、ベテランの高浜機長をはじめとするコクピットクルーは4基のエンジンの出力の増減と、油圧装置抜きでもコントロールする事が出来る主翼のフラップのみでなんとかJA8119号機を制御しようと懸命に努力し、危機に次ぐ危機を乗り越え、米軍の横田基地に向かおうとします。
この間、客室乗務員や乗客はお互い励まし合い、最後の覚悟を決めて遺書を書く人もいました・・・伝えられた中で衝撃的だったのは、大阪商船三井船舶(現・商船三井)の神戸支店長だった川口博次さん(当時52歳)のものでした。急激な右旋回中に書かれたこの遺書を読むと、今でも涙が滲みます。

さらに18時40分から48分までの8分間(大月付近上空)では機体が急激な右旋回に陥り、1回転と1/4回って高度が約6,600メートルから約1,980メートルにまで落ちています。機体の姿勢を制御するため着陸脚(ランディング・ギア)を下ろしたところ、空気抵抗で急激に速度が落ち、右旋回を始めたようです・・・この右旋回時の最大バンク角は40度、旅客機では機体を傾け過ぎると、横すべりを起こして墜落する可能性があるので30度以上傾けてはいけない規定になっています。
よくこの時点で墜落しなかったものだと関心します・・・何しろ右の窓から地面が真下に見えるような状況なんですから。
しかしこの右旋回でJA8119号機は関東山地の方向へ向かい始め、横田基地に向かう事は困難(と言うより不可能)になります。

その後18時49分頃には機首が39度に持ち上がり、時速も200キロに落ちてしまいます。完全に失速(ストール)状態です。分度器で見る39度なんて大した事がなさそうですが、実際には70メートルを越えるジャンボ機の機体が立ち上がったようなものなんです。
ボイス・レコーダー(CVR)には失速警報音(操縦桿が激しく『カタカタ』と振動する音)が録音されていて、この時点で墜落してもおかしくはなかったのです。
しかし、なおも絶望的な状況の中でもコクピットクルーの必死の努力でJA8119号機は飛行を続けます。

そして18時56分、高浜機長たちの必死の32分間の操縦も空しく、JA8119号機は姿勢を大きく乱して谷間に突っ込みます。しかし高浜機長たちは(覚悟を決めてはいたでしょうが)B747型機は推力を最大にすると「機首上げ」状態になる特性を利用して斜面スレスレを上昇し、尾根に水平尾翼をぶつけながらも一旦は激突を免れます・・・が、遂に群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の南側にある高天原山(たかまがはらやま)の無名の尾根(後に『御巣鷹の尾根』と命名)に激突したのです。
激突の衝撃で機体はバラバラになり、機体前部から主翼付近の客室は衝撃による圧壊と残っていた航空燃料(ケロシン)による火災が発生し、両主翼も機体から離脱して炎上しました。
客室後部は勢い余って山の稜線を超え、斜面を滑落して行きました。この客室後部は、ほかの部分に比べると衝撃の度合いが低かったのと、炎上も免れたので、アシスタント・パーサーの落合由美さん、乗客の吉崎博子さん、吉崎美紀子さん母娘、川上慶子さん4名が奇跡的に生存出来たのです・・・しかし川上さんの証言によると、事故後はかなりの乗客が生存していて、彼女の両親も生きていたそうです。

捜索隊の現場到着が遅れたのは、険しい山地に雨(墜落時)、ちょうど日暮れの時間帯だったという悪条件が重なったためと、123便が運送中の医療用ラジオアイソトープや、動翼(フラップなど)のマスバランサーとして使われていた、劣化ウランなどによる周辺への放射能汚染への警戒もあったためでした。
また、ヘリコプターでの墜落現場確認は出来たんですが、正確な場所の特定には時間がかかってしまいました。
夜間はヘリコプターでの接近が困難な場所だったので、地上からの救出に全力を挙げましたが、夜間に手探りで山を登るという、危険な登山で遭難の恐れもあったので、レスキュー隊が墜落現場に入れたのは翌朝になってしまいました・・・そして生存者の救出と遺体収容のために自衛隊が出動しました。

墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、犠牲者の遺体の大半は激しく損傷していた上に、猛暑という季節的な悪条件も加わって腐敗の進行も早いので、身元の特定は困難の連続だったようです。また、この当時はDNA鑑定技術もまだ十分には確立されていなかったので、地元・群馬県の医師のほか、法医学者や法歯学者などが全国から駆けつけ、冷房施設のない体育館での猛暑と腐敗臭や遺体保存用のホルマリン臭など、劣悪な環境の中、多数の人々が協力しあって人海戦術で判別作業を進めました・・・最終的な身元確認作業の終了にはおよそ4ヶ月間という時間と、膨大な人手を必要としたのです。しかし2名の乗客(うち1人はアメリカ人)の身元は遂に判明しませんでした。

参考:「死角 巨大事故の現場」柳田邦男 著(新潮文庫/新潮社 刊)
   日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る15年間の記録
   航空事故調査報告書概要(Aircraft Accident in Japanより)

※画像はAirlins.net Photos:Japan Air Lines - JAL Boeing 747SR-46より。
Airlins.netには画像を引用する旨の連絡はしてありますが、未だに返信がありません。
場合によっては削除します。

追記:10月19日(水)Airlins.netからメールが届き、使用許可を頂きました。

※2005年10月20日(木):加筆・修正。
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