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キャプテン、やめて下さい!

2013年02月09日 21:00

曇りのち時々晴れ
昭和57年(1982年)の2月9日8時37分頃、当時35歳だったK機長が操縦する福岡(FUK)発羽田(HND)行きの日本航空(日航/JAL)350便DC-8-61型機(機体番号JA8061)が着陸寸前に突然羽田空港手前の海上に墜落する重大事故(Accident)が発生しました。

この事故で乗員乗客174人(乗員8人、乗客166人)のうち、死者24人(乗客24人)、重軽傷者149人(重傷者:乗員8人、乗客87人、軽傷者:乗客54人)を出す惨事となりました。

事故の原因は、羽田空港への着陸態勢に入った時に、K機長が突然エンジンを逆噴射させた為でした(厳密にはDC-8型機のNo.2、No.3エンジンに装備されている逆推進装置を作動させた為)。
CVR(Cockpit Voice Recorder:コックピットボイスレコーダー)には、当時33歳のI副操縦士が発した
「キャプテン(機長)、やめて下さい!」
という絶叫が記録されていて、事故原因の決め手となりました。

日本航空高木養根社長(当時69歳)は記者会見で、K機長乗員健康管理室から心身症と診断されて経過観察中だったのに、運輸省(当時、現在の国土交通省の一部)などに報告を怠っていた事を明らかにして大問題となりましたね。
実はこの事すら隠蔽しようとしていたようですが、社内からの突き上げやマスコミへのリークがあって発表せざるを得なくなったようです。

その後K機長精神鑑定の結果、妄想型精神分裂症と診断されて刑事責任は問えなくなり、不起訴処分となりました…犠牲者の遺族や重軽傷を負った方々の心中はいかばかりだったでしょうか?
墜落したJA8061は、前日2月8日に同じK機長I副操縦士O航空機関士(当時48歳)らの乗員体勢で377便として、20時13分に羽田空港を離陸、21時58分に福岡空港へ到着しました。(羽田20時00分発、福岡21時40分到着予定)

実はこの時もK機長はおかしな行動を取っていました。
離陸許可が下りていないにもかかわらず「管制許可は下りているね」と言いながらパワーレバー(自動車のアクセルに相当)を操作しかけたのでI副操縦士O航空機関士が止めさせたり、右上昇旋回中にバンク角(傾き)を大きく取り過ぎて70度(旅客機の場合は最大でも30度)にしてしまい、機体は横滑りを始めます。FDR(Flight Data Recorder:飛行記録装置)の解析によると、15秒間で6,800ft(約2,72.6m)から6,000ft(約1,828.8m)まで降下し、対気速度も311kt(約575.97km/h)増加した事を記録していました。
この異常に気付いたI副操縦士は、普通なら機長に異常を告げてから操縦操作を行うのですが、直ちに操縦操作を行っています。

福岡空港に到着した後で、I副操縦士日航運行担当責任者K機長の異常な行動を報告すべきだったでしょう。バンク角の取り過ぎによる横滑りは、墜落に繋がるインシデント(incident)でした…しかし、当時の日航の体制では「代替の機長がいない」などとされ、報告自体が握り潰されていたかも知れません。
また、日航の会社としての異常な体質として世界中の航空会社の関係者が首をひねるのが「機長は管理職であり、副操縦士や航空機関士らは評価をされる側」と云う点があります。
ここで事故に発展しないようにする芽は摘まれてしまいました。

事故当日、JA8061を使った350便は9分遅れの07時34分に福岡空港を離陸します。その後は順調に飛行し、08時35分には羽田空港への着陸許可を受けギア(着陸脚)とフラップを降ろして着陸体勢に入ります。
高度200ft(約60.96m)までは順調な降下を続けていた350便ですが、その直後の08時44分01秒、K機長自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒します。K機長が機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作を行った上に、エンジンが4基あるDC-8型機特有のNo.2、No.3の2基にある逆推進装置を作動させます。

K機長がこの一連の異常な操作を行った為、JA8061の機首は前のめりになり、急速に高度を失いました。
エンジン音の異変に気付いたO航空機関士「パワー・ロー!」と叫んで推力を戻し、I副操縦士が急いで操縦桿を引き上げたのですが、K機長の方を見ると、まだ操縦桿を前に押し倒していました。この時思わずI副操縦士の口から出たのが「キャプテン、やめて下さい!」でした。

↑ 墜落したJA8061の救助活動の様子
08時44分07秒、JA8061羽田空港C滑走路33R手前から510mの海上にある誘導灯No.14ノーズギア(前脚)を引っ掛け、続くNo.15も破壊し、ノーズギアエンジンを脱落させながら、No.16No.17をなぎ倒し、No.18を右主翼で倒して停止します。
墜落時の衝撃でJA8061は機首前部ドア付近で機体が破断します。そして機体後部が機首に乗り上げた状態で擱座して、1/3が水深5m前後の海中に没してしまいました。
右主翼胴体に付いているように見えますが、誘導灯No.18を倒した衝撃で破断・分離しています。
前述のように機首部分は1/3がヘドロの堆積している海中に没した訳ですが、ここに座っていた乗客の内、6人が溺死しています。

航空法の第75条で「機長は、航空機の航行中、その航空機に急迫した危難が生じた場合には、旅客の救助及び地上又は水上の人又は物件に対する危難の防止に必要な手段を尽くさなければならない」と人命救助が義務付けられていますし、世界各国でも機長の責任として明記され、各航空会社でも職務の一環として求めています。
ところがK機長は、それらの職務を放棄し、乗客に紛れて真っ先に脱出していました。当初、機長死亡と報道されたんですが、その後でボートに乗って平然とした表情で救出されるK機長の姿が報道されました。なお、I副操縦士は軽傷でしたが、O航空機関士K機長を止めようとハーネスを外していた為に重傷を負ってしまいました。

結局、日航は、心身症と診断されて旅客機の機長としての運行業務に適さないK機長を経過観察中だったのに機長として運行業務に就かせていた…これによって24人の命を奪い、148人に重軽傷を負わせ、350便に乗り合わせた人たちとその家族の人生を狂わせたのです。
K機長の責任は問えなくなりましたが、安全軽視として日航の姿勢が厳しく批判されました。

そしてこの事故から3年6ヶ月と3日後の昭和60年(1985年)8月12日に、あの単独の航空機事故としては世界最悪日本航空123便墜落事故が発生した訳です。
それまでは1974年(昭和49年)3月3日に発生したトルコ航空DC-10パリ墜落事故単独の航空機事故としては世界最悪でした。
この事故では乗員12人、乗客334人(日本人48人を含む)、計346人全員が死亡しました。


■航空事故 報告書番号58-3|運輸安全委員会
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/pdf/58-3-JA8061.pdf
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