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東武大師線と未成線・西板線

2013年01月04日 21:21

曇り
東武大師線は、東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)の西新井駅から、西新井大師(五智山 遍照院 總持寺;ごちざん へんじょういん そうじじ)のある大師前駅との間を結ぶ、1kmの単線路線です。

ただ単に「大師線」と言うと、沿線に「関東の厄除け三大師」の一つ川崎大師(金剛山 金乗院 平間寺;こんごうさん きんじょういん へいけんじ)や、奇祭「かなまら祭り」で有名な金山神社(若宮八幡宮の境内にある)がある京浜急行の「大師線」(京急川崎駅~小島新田駅間4.5km)もあるので、基本的に「東武大師線」「京急大師線」と、社名を冠して呼ぶのが鉄道ファンの慣例です(笑)。
大師前駅に進入する8000系
使われている電車は東武8000系電車です。
運転士だけのワンマン運転用に改造されています。都内では東武大師線の他に亀戸線(曳舟駅~亀戸駅間)がこの電車。後は東武小泉線(館林駅~西小泉駅間、東小泉駅~太田駅間)と佐野線(館林駅~葛生駅間)、桐生線(太田駅~赤城駅間)に使われていますね。
大師前駅ホームに停車中の8000系
「あけましておめでとう!2013」と書かれた新年のステッカー式ヘッドマークが貼られています。
「あけましておめでとう!2013」ヘッドマークこちらが貼られているヘッドマークです。星が散りばめられた晴れ着を着ているソラカラちゃん獅子舞いの装束を持ったスコブルブル、そしてハートが散りばめられた晴れ着を着たテッペンペンが並んでいます。

…こう言っちゃなんだけど、ソラカラちゃんたちって人気があるんでしょうかね?A^ω^;)

ところで…この東武大師線は、元々西新井駅東武東上線上板橋駅を結ぶ「西板線」と云う路線になるはずだったんですが、ご存知でしょうか?
「はずだった」…と云う事は「未成線」です。
「未成線」と云うのは、構想や計画段階、または建設の段階で中止されてしまい、実現しなかった鉄道路線の事・・・簡単に言えば「計画倒れの路線」であり、鉄道事業者には「黒歴史」ですね。

「西板線」大正時代後期に計画されました。ところが工事免許の申請と許可が下りるまでの間に、関東大震災こと大正関東地震(大正12年/1923年9月1日)が発生してしまいます。

東武鉄道も多大な被害を受けてしまったので、震災で被災した路線の復旧を優先する為に計画が変更されて、西新井駅から、ほぼ現在の環状七号線に沿う形で、鹿浜までの工事施工申請をして、用地買収や設計を始めました。

しかし、当時は荒川の護岸整備が未完成で、橋梁の設計が出来ない、荒川隅田川の2河川に架ける橋梁の建設費用の問題、路線予定地の町関係者からは、路線経路の変更要求が持ち上がり、その対応などと云った諸問題につき当ってしまいます。

諸問題の対応にもたもたしている間に、路線予定地が急速に市街地化してしまいます・・・そして昭和の大恐慌が起こります。「これでは建設費が高額になってしまう。採算が取れる見込みがない」と云う事になってしまい、結局は鹿浜から上板橋駅間の路線計画は廃止になってしまいました。

後に大師前駅から鹿浜間も同様の理由で起業廃止を申請して、免許は取り消される事に。この「西板線計画」の中止については、昭和39年(1964年)に刊行された「東武鉄道65年史」の中で「発展史唯一の遺憾事」と書かれています。普通、こうした未成線は、前述のように「黒歴史」ですから、社歴にサラッと書くか、全く触れないものですから、いかに残念な計画頓挫だったかと云う事が窺えますね。

これ↓が「東武鉄道65年史」に載っている「西板線計画」で計画されていた路線図を、現在の地図に描いたものです。

より大きな地図で 東武鉄道の西板線計画 を表示
この地図を見て貰えば解ると思いますが、この路線が完成していれば、飛び地的な路線になっている東武東上線東武伊勢崎線を結ぶ事が出来た訳ですし、足立区北区板橋区は、もっと便利な街になっていたでしょう。

更に現在のJR東十条駅~赤羽駅間の人の流れ方も、現在とは大きく異なっていた事でしょうね。
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※2013年01月07日(月):加筆・修正。
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