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二十七回忌

2011年08月12日 18:56

晴れのち時々曇り
飛び去る日航123便(イメージ) ← 飛び去る123便
 (イメージ)

今年も8月12日が巡って来ました。
昨年は「日航機事故から25年目」という、1/4世紀が経ってしまった節目の年だった事もあり、マスコミ各社は特集などを組んでいましたが、今年は東日本大震災があった影響からか、それほど特集記事や特番などは組まれてないようですね。
近くの砂防ダムの工事用道路が開放されて、近道が出来たとは云え、ご遺族の方々の高齢化が進んでいる現在では、やはり事故現場に建立された「昇魂之碑」を目指す慰霊登山を断念するご遺族も多いと聞きます・・・当時は陸上自衛隊員でも苦労して登ったという険しい山道ですから、無理もない事でしょう。

今後は墜落現場となり、捜索活動や遺体収容・確認作業の拠点となった群馬県多野群上野村にある慰霊の園での慰霊祭の比重が重くなって来るでしょうね。

私は例年通り、今年も推定墜落時刻の18時56分30秒には、高天原山「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに合掌して、歿くなられた520名の皆さんのご冥福をお祈りさせてもらいます。
ご意見、ご感想はこちらへどうぞ!
日航123便航跡図(ver.1.2より)
事故機の航跡図 → 
(キャプチャ)     
事故の概要
昭和60年(1985年)8月12日(月)、18時12分に東京への出張帰り(あるいはその逆)のビジネスマンや、お盆で帰省する乗客を乗せて、東京国際空港(羽田)を離陸した日本航空123便(ボーイング747SR-100型機、機体番号JA8119)が大阪国際空港(伊丹)に向かって飛行中、相模湾上空(18時24分35~36秒頃)で連続する2回の衝撃音と共に垂直尾翼の2/3や補助動力装置(Auxiliary Power Unit/APU)などを喪失しました。

操縦不能に陥ったJA8119の機体を高浜雅己機長と佐々木祐副操縦士の必死の操縦と、福田博航空機関士のアシストで、何とか直ぐの墜落は逃れたものの、30分以上の迷走飛行を続けた末に18時56分30秒頃、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の南側にある高天原山の尾根(後に『御巣鷹の尾根』と命名)に墜落しました。
この事故で乗員15名(操縦室3名、客室12名)、乗客505名、計520名が死亡すると云う、単独事故としては世界最大であり最悪航空機事故でした。
また、乗客の女性4名(うち2人は未成年)が重傷を負ったものの、奇跡的に救出されました。

事故の原因
墜落したJA8119は事故の7年前に、伊丹で離陸の際に機体後部を滑走路に接触させる「尻もち事故」を起こしていて、その際に機体後部にある圧力隔壁を破損しました。
その後、圧力隔壁を修理したボーイング社の修理ミスにより、飛行中に7年間の度重なる与圧によって、遂に圧力隔壁が破壊された為に、吹き抜けた風圧によって垂直尾翼(垂直安定版と2枚の方向舵で構成)などと共に、4本ある操縦用油圧系統全てを喪失、操縦不能に陥ってしまったのが事故原因とされています。

しかし、この事故原因と(推定された)墜落までの経緯を疑問視する声は多く、今でも様々な説が取り沙汰されています。

当Blog関連記事
「25年目の日本航空123便墜落事故」(2010年08月12日)
「失われた垂直尾翼」(2009年08月12日)
“Ground Proximity Warning System”(2008年08月12日)
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「あれから20年・・・(その2)」(2005年08月13日)
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