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28年目

2013年08月12日 18:56

晴れ時々曇り(一時雷雨)
飛び去る日航123便(イメージ) ← 飛び去る123便
 (イメージ)

今年もまた8月12日が巡って来ました。
近くの砂防ダム工事用道路が近道として開放されましたが、やはり高齢となったご遺族の方々が事故現場に建立された「昇魂之碑」を目指す慰霊登山を断念するケースも多いと聞きます。
慰霊登山を断念し、「慰霊の園」で合掌するご遺族の心情を慮ると、居た堪れない気分になりますよ。

私は例年通り、今年も推定墜落時刻の18時56分30秒には、群馬県多野郡上野村にある高天原山「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに合掌しつつ黙祷を捧げて、歿くなられた520名の皆さんのご冥福をお祈りさせて頂きます。
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テネリフェの悲劇

2013年03月27日 21:00

雨のち曇り
36年前の1977年(昭和52年)3月27日は、世界の航空史上最悪の航空事故が、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島にあるロス・ロデオス空港(TFN、テネリフェ・ノルテ空港。以下テネリフェ空港)で発生しました。

↑ テネリフェ空港の概略図
この事故は霧の漂う滑走路(ランウェイ:Runway)をタキシング中のパン・アメリカン航空(パンナム)の1736便(ボーイング747-100型機、乗員16人、乗客380人)に、離陸許可が下りたと勘違いして離陸を開始したKLMオランダ航空(KLM)の4805便(ボーイング747-200型機、乗員14人、乗客234人)が衝突後に爆発炎上して、双方合わせて583人が死亡した事故で、「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」とか「テネリフェの悲劇」「テネリフェの惨事」などと呼ばれています。

この日、カナリア諸島(アフリカ北西部沖にある、大小10ほどの島嶼群)のグラン・カナリア島にあるグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港:LPA)は、カナリア諸島の分離独立を目指す過激派組織の爆弾テロ事件と、もう1発の爆弾を仕掛けていると云う爆弾テロ予告で閉鎖されていました。
ラス・パルマス空港が目的地だったパンナム機“クリッパー・ヴィクター号”と、KLM機“ライン号”は、テネリフェ空港ダイバート(代替空港への着陸)する事になりました。

↑ 事故を起こしたKLMのB747-200型機(左)とパンナムのB747-100型機 (同型機)
テネリフェ空港は、東南東から西北西に伸びる3,400mの滑走路1本と、滑走路に平行する1本の誘導路(タクシーウェイ:Taxiway)があるだけのローカル空港で、標高が600mほどあり、海流と標高の影響で、雲や霧で覆われる事の多い空港です。

アムステルダム発(AMS、スキポール空港)のKLM機テネリフェ空港に着陸したのが、現地時間の13時44分、この時点で空港ターミナル前にある駐機場(エプロン)は10機以上が駐機していて、KLM機は仕方なく西北西側にある一時駐機場所に移動しました。ロサンゼルス発(LAX、ロサンゼルス国際空港)ニューヨーク経由(JFK、ジョン・F・ケネディ国際空港)のパンナム機が到着したのは約30分後で、やはり一時駐機場所に移動して、ラス・パルマス空港の再開を待つ事になりました。
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※この記事は書きかけです。タイトルや内容その他が変更される可能性があります。

あれから2年、まだ2年。

2013年03月11日 23:00

晴れ
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震、所謂「東日本大震災」が発生してから、今日で丸2年になりました。

各地で追悼行事が行われましたが、復興にはまだまだ時間が掛かる…と云うのが実情だと思います。

一番の問題は東京電力福島第一原子力発電所過酷事故の発生によって、いたるところで放射性物質放射線に対するデマが広がり、妙なベクトルが働き出して瓦礫の撤去とその焼却処分に手間取っている点と、「過疎地が多い被災地に公的資金をそんなに投入して復興支援すべきなのか?」と云う風潮でしょう。
『放射線と発がん、日本が知るべき国連の結論 』
(日本経済新聞:2013年01月17日07時00分、元記事/Forbes.com)
 http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50651160W3A110C1000000/

人口が多い少ないで判断していては、何もならない。そこで生活している人たちがいるんですから、その土地を蘇らせなければ真の復興とは言えないでしょうね。

平成23年(2011年)3月11日の時系列的な出来事は去年の記事
 http://cyobinosuke.blog34.fc2.com/blog-entry-2709.html
に書きましたので、そちらを参考にして下さい。

ご意見、ご感想はこちらへどうぞ!
※この記事は書きかけです。タイトルや内容その他が変更される可能性があります。

キャプテン、やめて下さい!

2013年02月09日 21:00

曇りのち時々晴れ
昭和57年(1982年)の2月9日8時37分頃、当時35歳だったK機長が操縦する福岡(FUK)発羽田(HND)行きの日本航空(日航/JAL)350便DC-8-61型機(機体番号JA8061)が着陸寸前に突然羽田空港手前の海上に墜落する重大事故(Accident)が発生しました。

この事故で乗員乗客174人(乗員8人、乗客166人)のうち、死者24人(乗客24人)、重軽傷者149人(重傷者:乗員8人、乗客87人、軽傷者:乗客54人)を出す惨事となりました。

事故の原因は、羽田空港への着陸態勢に入った時に、K機長が突然エンジンを逆噴射させた為でした(厳密にはDC-8型機のNo.2、No.3エンジンに装備されている逆推進装置を作動させた為)。
CVR(Cockpit Voice Recorder:コックピットボイスレコーダー)には、当時33歳のI副操縦士が発した
「キャプテン(機長)、やめて下さい!」
という絶叫が記録されていて、事故原因の決め手となりました。

日本航空高木養根社長(当時69歳)は記者会見で、K機長乗員健康管理室から心身症と診断されて経過観察中だったのに、運輸省(当時、現在の国土交通省の一部)などに報告を怠っていた事を明らかにして大問題となりましたね。
実はこの事すら隠蔽しようとしていたようですが、社内からの突き上げやマスコミへのリークがあって発表せざるを得なくなったようです。

その後K機長精神鑑定の結果、妄想型精神分裂症と診断されて刑事責任は問えなくなり、不起訴処分となりました…犠牲者の遺族や重軽傷を負った方々の心中はいかばかりだったでしょうか?
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27年目の夏

2012年08月12日 18:56

飛び去る日航123便(イメージ) ← 飛び去る123便
 (イメージ)

今年もまた8月12日が巡って来ました。
昨年は二十七回忌でしたが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があった影響もあって、それほど特集記事や特番などは組まれませんでした…風化させたくない事故ですが、日々起こる凶悪な事件や悲惨な事故の報道で、去年の東日本大震災ですら、何だかぼやけて来ている印象があるのが現状ですしね。

ご遺族の方々の高齢化が進んでいる現在、近くの砂防ダムの工事用道路が近道として開放されたとは云え、やはり事故現場に建立された「昇魂之碑」を目指す慰霊登山を断念するご遺族も多いと聞きます。

慰霊登山を断念し、「慰霊の園」で合掌するご遺族の心情を慮ると、居た堪れない気分です。

私は例年通り、今年も推定墜落時刻の18時56分30秒には、高天原山「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに合掌して、歿くなられた520名の皆さんのご冥福をお祈りさせてもらいます。
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「区切り」じゃなく、「通過点」 ~あの日の出来事を振り返る~

2012年03月11日 14:46

曇り時々晴れ(一時雨)

平成23年(2011年)3月11日金曜日、14時46分…
この日、近世の日本を襲った未曽有の巨大地震、東北地方太平洋沖地震。
このモーメント・マグニチュード(Moment Magnitude,Mw)9.0の巨大地震によって発生した津波は、北海道から千葉県までの太平洋沿岸を大津波が襲い、その他の地域にも津波が到達しました。

私は午後休だったので、一旦帰宅してから、最寄り駅の駅前にある書店で取り置きして貰っていた雑誌を購入した後、立ち読みしていました。夕方からは銀座シネパトスでトークショーがあるので、立ち読みした後は部屋に戻って、支度するつもりだったのですが・・・

周期の長い、大きな揺れから始まったので「眩暈?」と思ったのですが、足元から揺れ出して「ありゃ、地震か」と思いましたが、十分立っていられる揺れ。しかし私は大した事はないと思っても、書店の店長が「外に出て下さい!」と言い出したので、「外に出て、もし看板が落ちて来たらどうするんだろ?」と思いつつ、外へ出ました。

駅前の広場は不安げな人たちが揺れに怯えていましたが、顔馴染みのコンビニに入って、店内の様子を落下した物を拾いながら動画を撮影しました。

最寄り駅のホームそばには、常磐線の快速電車が緊急停車していました。
駅員さんに手伝える事はないか申し出ましたが、取り敢えず大丈夫との事で、更に駅構内から退避するように指示が出たと言うので、私も駅から出ました。

駅前では駅構内に入れない人たちが多くなり、大きな揺れが来る度に、新興宗教団体のグループが、知らない神様の名前を唱えてて、ちとウザかったですね。

アパートでは電波が入らない携帯電話のワンセグで地震の情報を得ようと思って点けてみると、大津波で洗われる八戸港などの映像が映し出されて慄然としました。
…昨年の地震当時の私は、こんな感じでした。
当初の情報がなかった時点では、茨城県沖辺りで発生したM7級の大地震だと思っていたんですが、情報が入ってとんでもない地震だと判った訳です。

以下は、昨年3月11日に起こった出来事をザックリとまとめたものです。

■14時台
45分:岩手県釜石市で津波の第1波(引き波0.1m)を観測。
46分:三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近、N:38.6 /E:142.5 /D:10㎞、速報値)を震源とするモーメント・マグニチュード(Moment Magnitude,Mw)9.0の巨大地震が発生。
   当初の気象庁発表(暫定値)はM7.9(気象庁マグニチュード、Mj)。

同分:気象庁が岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県に緊急地震速報(警報)を発表。
同分:地震波到達。宮城県栗原市で最大震度7の揺れを観測。宮城県涌谷町、登米市、大崎市、名取市など、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県28市町村で震度6強を観測。、東北地方を中心に、北海道から九州地方にかけて震度6弱~1を観測する。
同分:宮城県石巻市(鮎川)で津波の第1波(押し波0.1m)を観測。
同分:岩手県大船渡市で津波の第1波(引き波0.2m)を観測。
同分:東京電力福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町、双葉町)の1~3号機が全て運転を停止。(4~6号機は定期検査中)
同分:東京電力福島第二原子力発電所(福島県双葉郡楢葉町、富岡町)の1~4号機が全て運転を停止。
同分:東北電力女川原子力発電所(宮城県牡鹿郡女川町、石巻市)の1~3号機が全て運転を停止。
同分:JR東日本、東北、秋田、山形の各新幹線を全区間で運転中止。
同分:JR東日本、上越、長野(北陸)の各新幹線、在来各線の運転を見合わせ。
48分:岩手県宮古市で津波の第1波(押し波0.2m)を観測。
49分:太平洋岸のほぼ全域に大津波警報、津波警報、津波注意報が発表される。
50分:危機管理センターに官邸対策室を設置。
51分:福島県沖を震源とするM6.8、最大震度5弱の余震が発生。
54分:福島県沖を震源とするM5.8、最大震度5弱の余震が発生。

同分:東海道新幹線、東京駅~静岡駅間で停電。影響で東海道・山陽新幹線が全線で運転を見合わせ。
55分:福島県相馬市で津波の第1波(押し波0.3m)を観測。
58分:福島県沖を震源とするM6.4、最大震度5弱の余震が発生。

■15時台
06分:岩手県沖を震源とするM6.4、最大震度5弱の余震が発生。
同分:仙台空港閉鎖。
08分:静岡県伊豆地方を震源とするM4.6、震度5弱の地震が発生。誘発地震。
同分:三陸沖を震源とするM7.5、最大震度5弱の余震が発生。
10分:この頃までに、首都圏の私鉄各線は、相次いで運転を見合わると発表。
同分:村井嘉浩宮城県知事、枝野幸男官房長官に対して自衛隊の災害派遣を要請。
12分:福島県沖を震源とするM6.1、最大震度5弱の余震が発生。
15分:茨城県沖でM7.7、最大震度6強の余震が発生。この影響で千葉県内の各地で液状化現象が発生。
同分:茨城県大洗市で津波の第1波(押し波1.8m)を観測。
同分:岩手県大船渡市で最大波高3.2m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。
19分:北海道浦河市で津波の第1波(引き波0.2m)を観測。
同分:羽田空港、旅客機の運航を見合わせ。
20分:宮城県石巻市(鮎川)で最大波高3.3m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。
21分:岩手県釜石市で最大波高4.1m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。
同分:岩手県宮古市で最大波高4.0m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。
22分:青森県八戸市で津波の第1波(引き波0.8m)を観測。
24分:この時点で茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県東部で404万6,000軒が停電。
25分:三陸沖を震源とするM7.4、最大震度4の余震が発生。
同分:成田空港閉鎖。
34分:北海道根室市(花咲)で微弱な津波の第1波(引き波)を観測。
40分:北海道苫小牧市(東港)で津波の第1波(引き波0.2m)を観測。
47分:コスモ石油(株)千葉製油所(千葉県市原市)でガス漏れによる火災が発生。
50分:福島県相馬市で最大波高7.3m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。
57分:北海道根室市(花咲)で最大波高2.8mの津波を観測。

■16時台
00分:気象庁が「平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について」を発表。
17分:北海道苫小牧市(東港)で最大波高2.5mの津波を観測。
20分:気象庁が「平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について(第2報)」を発表、今回の巨大地震を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名。英語では“The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake”と表記。
29分:岩手県沖を震源とするM6.5、最大震度5強の余震が発生。
30分:この頃、石原慎太郎東京都知事が定例記者会見で「(東京は)今程度の損害で済めば、他県に比べて有難い」と発言。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=45LpQ2XpKsU#t=1m30s
36分:東京電力福島第一原発の1、2号機で、非常用炉心冷却装置(緊急炉心冷却装置:ECCS/Emergency Core Cooling System)の注水不能に陥る。
42分:北海道浦河市で最大波高2.7mの津波を観測。
51分:青森県八戸市で最大波高2.7mの津波を観測。
52分:茨城県大洗市で最大波高4.2m以上の津波を観測。以降、地震や津波による検潮所や通信設備などの損壊や断線などでデータ送信不能に陥る。

■17時台
13分:コスモ石油(株)千葉製油所(千葉県市原市)付近で爆発。長周期地震動によってスロッシングが発生、タンクの浮き屋根と壁面が接触して火花が散って引火したもの。
30分:気象庁が「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』の地震の規模について(第3報)」を発表、暫定値がMj8.4からMw8.8に修正される。
39分:枝野幸男内閣官房長官が記者会見。「首都圏の交通機関が不通なので、職場待機するように」と呼び掛ける。
40分:福島県沖を震源とするM6.1、最大震度5強の余震が発生。

■18時台
00分:茨城県那珂市で道路が複数箇所で陥没。
16分:宮城県気仙沼市で大規模な火災が発生。
20分:JR東日本が首都圏在来線の終日運休を発表。
23分:長周期地振動の影響で、東京タワー頂上部のスーパーターンスタイルアンテナ(Super Turn Style Antenna)の上部が屈曲。
30分:気象庁が「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』について(第4報)」を発表、速報値の震源の深さを10㎞から24㎞に修正。

■19時台
03分:菅直人首相、原子力緊急事態宣言を発表。

■20時台
00分:気象庁が「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』による地震・津波・火山観測機器の状況について」を発表。
同分:航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)が津波で水没。
36分:岩手県沖を震源とするM6.7、最大震度5弱の余震が発生。
40分:一部の地下鉄が運転を再開。
50分:福島県災害対策本部が東京電力福島第一原発から半径2㎞の住民1,864人に避難指示。

21時台
00分:この時点で関東地方の364万6,408世帯が停電。茨城県82万3,404世帯、栃木県56万8,807世帯、群馬県22万5,524世帯、埼玉県34万2,878世帯、千葉県34万7,609世帯、東京都10万2,359世帯、神奈川県123万5,827世帯。このほか山梨県14万5,009世帯、静岡県11万3,051世帯が停電。
15分:住友金属工業(株)鹿島製鉄所(茨城県鹿嶋市)でガスホルダーから火災が発生。
23分:菅直人首相、東京電力福島第一原発から半径3㎞圏内の住民に避難指示、半径10㎞圏内の住民に屋内避難指示を発表。

22時台
00分:気象庁が「『平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震』について(第5報)」を発表。
40分:JX日鉱日石エネルギー(株)仙台製油所(宮城県仙台市宮城野区)の低温LPGタンクが爆発、火災が発生。長周期地震動によってスロッシングが発生、タンクの浮き屋根と壁面が接触して火花が散って引火したもの。

巨大地震の揺れで建物が倒壊して下敷きになったり、大津波に流されて溺れたりして亡くなった方々は、12都道県で15,854人になり、未だに行方の分からない方もいます。

確かに1年と云う節目ですが、「区切り」ではなく「通過点」だと考えています。
まだまだ難問は山積し、真の意味での「復興」には程遠いのが現状なんですから。
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二十七回忌

2011年08月12日 18:56

晴れのち時々曇り
飛び去る日航123便(イメージ) ← 飛び去る123便
 (イメージ)

今年も8月12日が巡って来ました。
昨年は「日航機事故から25年目」という、1/4世紀が経ってしまった節目の年だった事もあり、マスコミ各社は特集などを組んでいましたが、今年は東日本大震災があった影響からか、それほど特集記事や特番などは組まれてないようですね。
近くの砂防ダムの工事用道路が開放されて、近道が出来たとは云え、ご遺族の方々の高齢化が進んでいる現在では、やはり事故現場に建立された「昇魂之碑」を目指す慰霊登山を断念するご遺族も多いと聞きます・・・当時は陸上自衛隊員でも苦労して登ったという険しい山道ですから、無理もない事でしょう。

今後は墜落現場となり、捜索活動や遺体収容・確認作業の拠点となった群馬県多野群上野村にある慰霊の園での慰霊祭の比重が重くなって来るでしょうね。

私は例年通り、今年も推定墜落時刻の18時56分30秒には、高天原山「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに合掌して、歿くなられた520名の皆さんのご冥福をお祈りさせてもらいます。
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撮影ポイントの史実

2011年03月10日 22:22

晴れ時々曇り
画像は東京スカイツリー言問橋です。
言問橋とスカイツリー(2010年12月)
↑ 言問橋とスカイツリー (CX1)
昨年12月に撮影したものです・・・本当は先日スカイツリー撮影に行った時に撮りたかったんですが、浚渫工事用台船が係留されていて、クレーンのジブなどで言問橋の全体がよく見えないから撮ってないんですよ。
「戦災により亡くなられた方々の碑」 ← 慰霊の碑
   (CX1)

今日は昭和20年(1945年)3月10日未明の東京大空襲の記念日。
祖父は私が小学2年生の頃に事故で歿ったので、祖父からは戦争体験は殆ど聞いた事がありませんでしたが、今は亡き祖母や大叔父たちから、折に触れて聞いて来ました。

私の祖父の兄(大伯父)は、この東京大空襲で歿ったんですよね・・・大伯父の遺体が発見された場所は言問橋付近で、祖父の弟(大叔父)が見付けたそうです。
詳しい遺体発見場所は、大叔父も良く分からなかったようでした。
碑文
碑文 → 
(CX1)
     
台東区浅草7丁目の台東区立墨田公園に入ってすぐの場所にある「戦災により亡くなられた方々の碑」は、終戦から41年目の昭和61年(1986年)3月に建立された石碑です。
碑だけの高さは1mもないでしょう・・・しかし碑文の「あゝ 東京大空襲 朋よやすらかに」には、この地で犠牲になり、荼毘にふされ、仮埋葬された人々への鎮魂の願いが、「とも」「友」ではなく「朋」とした事によって、端的に表れていると思います。
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25年目の日本航空123便墜落事故

2010年08月12日 18:56

曇り時々雨
今年も8月12日が巡って来ました。
今年は事故後25年という節目の年であり、あれから4半世紀が経ってしまった訳ですね。
私は例年通り、今年も推定墜落時刻の18時56分30秒には、高天原山「御巣鷹の尾根」の方角に向かって静かに合掌して、亡くなった520名の皆さんのご冥福をお祈りします。
日航123便航跡図(ver.1.2より) ← 航跡図
 (キャプチャ)

日本航空123便墜落事故の概略は過去の記事で何度も触れていますが、改めて・・・
昭和60年(1985年)8月12日18時12分に東京国際空港を離陸して大阪国際空港に向かった日本航空123便(ボーイング747SR-100型機、機体番号JA8119)が相模湾上空を飛行中の18時24分35~36秒頃、連続する2回の衝撃音と共に垂直尾翼の2/3や補助動力装置(Auxiliary Power Unit/APU)などを喪失、30分以上の迷走飛行を続けた末に18時56分30秒頃、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の南側にある高天原山の無名の尾根(後に『御巣鷹の尾根』と命名)に墜落。
乗員15名(操縦室3名、客室12名)、乗客505名、計520名が死亡、乗客4名が重傷を負った・・・という、単独事故としては世界最大航空機事故でした。

JAL123便飛行跡略図-ver1.2や、日航ジャンボ機墜落事故(サビ猫さん)を参考に、改めて事故を振り返ってみましょう。
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雫石事故

2010年07月30日 23:00

雨のち曇り
もう、すっかり忘れ去られてしまった感がありますが・・・

昭和46年(1971年)の今日(7月30日)は、岩手県岩手郡雫石町付近上空で、航空自衛隊(JASDF/Japan Air Self-Defense Force)ノースアメリカン F-86F戦闘機(製造番号92-7932)と接触した全日本空輸(全日空)58便(札幌発羽田行き、ボーイング727-200型機、機体番号JA8329)が空中分解して、雫石町に墜落した全日空機雫石衝突事故、所謂「雫石事故」が発生した日です。
※以下、航空自衛隊を「空自」と略す場合もあります。

千歳空港を13時33分(定刻は12時45分)に離陸した全日空58便は、13時46分に函館NDB(Non-Directional Beacon:無指向性無線標識)を高度22,000フィート(約6,706m)で通過して、高度を28,000フィート(約8,534m)に上げて、航空航路「ジェットルートJ11L」を自動操縦で松島NDBに向かう途中でした。
全日空58便は、計器飛行方式の承認を得て13時46分に千歳空港を離陸後、J10Lで函館NDBを通過、その後はJ11Lで松島NDBを目指し、J30Lで大子NDB、J25Lで佐倉NDB及び木更津NDBを経て、東京国際空港(羽田)に到着する予定でした。

一方の自衛隊機は、訓練生2等空曹が搭乗。
教官1等空尉の随伴で航空自衛隊松島基地を13時28分に離陸しました。
当日に教官臨時設定された秋田県横手市付近上空訓練空域に向かうべく、急速に高度を上げます。そして、予告なしに教官機進路変更訓練生機が等間隔で追尾する、実戦形式の訓練を開始しました。
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